3時間鳩を見てボーッとする

 ポァッッ!!!!
 こんにちは。鳩です(違う)

 ついこの前、友達が「この前学校の中庭で鳩見てたら3時間経ってた」って話をしたのを思い出したのでその話でもしようかなと。
 学校の中庭で鳩見てたら3時間経ってたって色々ツッコミ過多すぎるんだけどそもそも3時間もよく鳩もそこに居たな……。
 人慣れしてるのかな? それとも結構居てそれが全部居なくなるのを見てたとか? 知らんけど。

 僕はかなり生き急ぐタイプの人間なので正直その「3時間も鳩を見つめるだけ」の時間が信じられないんだよな。
 え、その時間、他のことに使いなよ……。
 実際そう思ったし、確かそれっぽいことも言ったような気がする。「時間もったいなくね?」みたいなことかな。

 その子だけじゃなくて周りにも何人か居て、何人かは「何してんだよw」みたいなツッコミをしてたんだけど、そのうちの一人が「素敵な時間だねぇ」って返してたのがとても印象的だったのをふと思い出した。
 言ってしまえば「何もしてない」時間を素敵だって言えることがあまり理解出来なかった。
 その「素敵だね」って言葉で今までツッコンんでた奴らも「まー、悪くはないか」みたいな感じで納得してた。

 ……は? 俺納得してませんけど?

 待って待って、何勝手に納得してるん? え、時間が無駄なことに変わりはないだろ。その時間他のことに使えばよくない? どこが素敵なの?
 理解ができなさすぎて一人だけ唸ってたら、その「素敵だね」って言った子が僕の様子に気が付いたのかすぐに「鬱之深夜はいつも忙しそうに見えるよ」と。
 まあ、無駄な時間があんまり好きじゃないので忙しそうに見えるならそれで良いんだ。周りから見て一瞬でも「怠けてる」って思われるのが嫌だからさ。

 そしたら周りの人達も「なんかテキパキしてるよね」だの「気張ってるって感じ」だのと言われる始末。
 うん……まあ意識的にそうしてるから否定はしないけども。
 んで、「もう少し休んでもいいんじゃないの?」って最終的には言われてしまった。

 ここで言ったことがあるか分からないんだけど、僕は寝るのもすごく嫌いで出来ることなら起きていたいんだよね。
 だから、元々はカフェイン錠剤を飲んでたのも寝る時間を減らすため。無駄な時間を減らすためだってことで飲んでた。いつからか目的若干変わってきてるんだけど、結果的に時間の無駄は減ったような気がするから良いんだけどさ。
 つまりのところ、生き急いでるっていうのかな。「何もしない」とか「必要のない時間」っていうのがすごく嫌い。

 「休むことは大事だ」とは言われても、僕は0か100かしかないから、休むとなったらガッツリぐだぐだしちゃうんだよね。
 で、結果的に予定の何倍も時間を無駄にしてしまうことが多い。
 50くらいの力でやれば良いって言われても、50ってどのくらいなわけ? って思って結局100でやってしまう。
 持久走の時間とかのペース配分は上手いんだけどな。「疲れないけど走り続けられる速度」っていうのが保てる。

 でも現実ではそう簡単じゃなくて、「そもそもサボる」か「最初から倒れるまで同じスピードで飛ばす」の二択しかない。
 中学生の時なんかはもしかしたらうまくできてたのかな? 分かんないけど、とりあえず行って、めんどくさくなったら学校抜け出して帰ったりはしてた()
 それから体育と数学の授業が嫌いだったから、その時間、もしくは前後の時間を保健室でサボってた。
 保健室の先生が2人いたんだけど、若い先生は「も〜鬱之深夜さんったら! 次の授業は行きなさいよ?」って感じだったけど休ませてくれた。
 逆にちょっと年齢層が上の先生には「また鬱之深夜さん仮病? ほんといい加減にして」みたいなことばっかり言われ続けてた。
 だから若い先生だけが保健室にいる時はラッキーって感じ。

 3年生になってからは教室じゃなくてカウンセリングルームで過ごすことも多かったな。「教室で授業受けたくない、ここで勉強したい」って言えばカウンセリングルームの先生が担任に言ってくれてたりした。
 もちろん最初のうちは「行きなさいよ〜」って感じだったんだけど、いきなり学校抜け出したりするのが続いてからはカウンセリングルームで勉強してた。
 カウンセリングルーム登校の子に同じクラスで、保育園からずっと学校一緒だった子がいて、その子の面倒を僕が見てたから担任にはすごく好かれてたんだよね。「いつもありがとね」って。ただ単に僕がカウンセリングルーム使いたいからそこに居ただけなんだけど。

 そんな生活を中学の時はしてたんだけど、高校生になってから「あの時間はなんて無駄だったんだ」と思うようになってしまった。
 学校なんてまともに行ってないから、行けるような学校も正直限られてて。
 頭も……真面目に学校行ってたら多分悪くはなかったと思うんだけど、結局クソ悪くなってしまったので本当は高校行くつもりなくてフリーターになるつもりだった。
 学力的に全日には行けないと分かってたし、行けても治安が悪いところとか。私立はお金が掛かるから行けない。定時とか通信は親が怒るしって思ってたんだけど、紆余曲折あって結局定時の学校に通い始めた。

 不登校だった子とか、家が近いからって理由の子も居たし、純粋にバカだからって理由でそこに来た子が多くて、似たような子が多くて楽しかったんだよね。
 中学の時に先生とも何回か揉めたから先生とかもあんまり期待してなかったんだけど、その学校の先生はめちゃくちゃ優しくて良い人ばっかりだった。
 もちろん「あいつはクソ」みたいなのも居たし、僕は好きだったけど他の子は嫌いって先生も居たけど、それでも優しい人が多かった。先生たちもなんか闇深そうな人が多かったってのもあるかも。

 楽しかったけど、授業もテストも簡単で学校では優等生になれたけど、その度に「外に出たら」ってことを考えてしまうようになった。
 今とかまさにそう。受験生だしね。

 「もっとちゃんと勉強しておけばよかった」「中学校に行っておけばよかった」「今思うと大したことなかったんだし」

 良くない思想ではあるのかもしれないけど、あの3年間を無駄だったと思ってしまう。
 もっと可能性があった、選択肢があったはずなのに。



 そんなことを考えてると、やっぱり時間を無駄にするのが嫌だなって思う。

 けど、最近は少しだけポジティブになったというか、無理矢理矯正してるところはあるんだけど、少なくとも、「あの3年間は無駄じゃなかった」と思えるところまでは来れたかな。
 「あの3年間が無ければ今の学校に居なかった。優しい人に出会うことも、好きな人に出会うことも、自分が優等生になれることもきっとなかった」
 だから、無駄じゃなかった。


 まだまだ漫画読んでるだけの時間とか、ようつべで動画見てるだけだったり、ゴロゴロしてたりボーッとしてるだけの時間は無駄だ無駄だって思ってしまうけど、いつかの未来でも、この小さな積み重なった無駄が「無駄じゃなかった」と言える日は来るのかな。
 3時間鳩を見てるだけの時間を、「素敵だ」と言える日は来るのかな。
 中学生の時の自分を無駄じゃないと認めることができたから、きっといつかは。

 なーんてことを考えつつ、「この時間はなんて無駄なんだろう」という日と自己嫌悪を重ねるのでした。

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