本屋が嫌いになった

 本屋が嫌いになったなと思う時があったのでその話でもしようかなと。
 先に注意しておくと、具体的な名前は出さないにしてもかなり批判的な内容になってます! 気をつけようね!
 でもこれは好き! って話については具体的な名前出しちゃうよ!
 プラウザバッグ用のフリー素材を置いていくゥ。


 先に一つ言っておくと、私はまあまあの本好きな方だということだけはご理解頂きたい。
 小学生の頃は図書館と児童館の本をほとんど全部読むくらいには好きだったし、途中からは「誰かが読んだ後の本が嫌いになる(つまり借りるのが嫌)」という謎のこだわりすら持ち始める。
 (ちなみに小学生の鬱之深夜はニックシャドウの真夜中の図書館とチェンジングが大好きで、一通り読み終わった後もニックシャドウのシリーズとチェンジングは内容を未だに全部覚えてるくらいには熱心に読んだ。今でもたまに読みたくなるのでとても好きな作品)

 未だに本は好きな方だと思う。用事はなくても本屋に行くことが多いし、良いものがあれば買うこともある。
 小説だけに限らず漫画とかエッセイも結構読む。哲学書とか文豪の作品も好きだし、洋書もそんなに多い数ではないけど読んだ。
 最近はそんなに読まないけど、一時期はネット小説も熱心に追ってた。二次創作だったら今でも見るけど。

 今日も少し外に出る機会があって、その時ついでに本屋に行って一通り本を眺めながらぼんやりと思う。

(あー、なんか、もういいかな)

 本屋はかなり好きだった。本屋で1日なんて余裕で潰せるくらい好きだったけど、ふとそんなことを考えていた。
 どちらかと言うと小説が好き……というか、小説が好きになったきっかけの作家さんがいる事もあって、その人がよく本を出してる出版社の文庫本の並びを見た時に思い出すことがあった。
 出先に本屋があればとりあえず入るくらいには本屋が好きだったこともあって、常連とまではいかないけどそこの本屋にも何度か通ったことがある。

 そこの本屋に私が個人的な因縁がある、って言い方をすると一方的で寂しいものだけど、兎にも角にも、その本屋で私は嫌な思いをしていることがある。
 その嫌なことを思い出したと言うか、嫌な思いをした原因の本が偶然目に入ってしまって、それでそんな気持ちになってしまったというか、うんざりしてしまったと言うか。


 その話をする前に、こんなブログを書いてる時点でお察しにしろ、私は創作活動だったり文字を書いたりするのが好きだ。
 今は時間がどうしても作れなくて中々画面に向き合えていないけど、コロナの自粛期間は一日中ずっと、寝食を忘れて創作活動に没頭してた。
 好きなことだから当然かもしれないけど、眠くならない。気圧で眠くなることもなければ、朝から作業を始めて夜中に眠くなることもない。
 それくらい好きで、楽しくて、あわよくば、手に職を付けたいと思ってたりもする。
 今でもその気持ちはあって、いつもいつも死にたい死にたいと嘆いてはいるものの、「本を書く仕事がしたい」とかいう矛盾する未来のことを考えている。

 と、いう前提。
 自分が将来そういう仕事をしたいから、本屋に入って、「いつかここに本が並ぶといいな」なんて気持ちで文庫本のコーナーを見つめる。
 もちろん目的は「面白そうなのがあれば本を買う」が根本的な部分なので、気になった題名や表紙のものを取ってぱらぱらと捲るって作業を繰り返す。

 その時に一冊。とある一冊が、本屋が嫌いになる原因の一つだった。
 嫌いになる連鎖反応の始まりだった。
 表紙がすごく綺麗で開いた本だった。最初から読んでしまうよりかは、中間地点をパッと開いてさらっと流し読みをする。
 その時に、私も1人の文字を書くことをいつか仕事にしたい人間として、ショックを受けた。

 (こんな作品で、作家になれるの?)

 一言で述べてしまうと、「ひどかった」。
 面白くない、は私の個人的な感想になってしまうし、「ひどかった」と思うのも私の個人的な感想かもしれないけど、とにかく酷かった。
 こんな表現力で? こんな読みづらくて? 内容も浅いのに? 小学生の私だって書ける。中学生の私だったらもっと上手く書ける。今の私だったら、もっと、もっと。
 こんなに酷い作品が、どうしてここに並んでる?

 その瞬間、魔法が解けたみたいに本屋がつまらなくなった。
 きっとこれが合わないだけ、そう思って他の作品に目を向けてみるけど、全部が同じものに見えてきた。
 似たような長ったらしいタイトルに、似たような主人公設定とヒロイン設定。本を開いてでもみろ、その稚拙な文章に目も当てられない。

 中学生が休み時間にコソコソと人の目を避けて書いた、妄想の吐き出されたノートが並べられているようにしか見えなかった。

 気持ち悪くなった。
 隣にあった読んだことのある本の続編の帯には「感動作!」なんて書かれてて、「あの作品で続編作るとかぶち壊しすぎだろ」とか「オチはよくあるお涙頂戴だけど?」とか、「これ、そんなに良い話だった?」とか。
 そんな事ばっかりが頭の中に浮かんだ。

 気持ち悪い。
 この作品を書いてる奴も、面白いとゴーサインを出した出版社も、これを売り出した本屋も、それを面白いという消費者も、それを批判する私も、気持ち悪い。

 似たようなものばっかりが並んでて、私の書きたい作品とは離れたようなものばっかりが並べられてて、「この本棚に並ぶためには、この本棚に相応しい媚の売り方をしなくちゃ駄目なのか」とか「努力じゃ才能には勝てないのか」とか「結局は運か」とか、思ってしまった。
 そう思ったら、泣いた。
 本屋で泣くなんて初めてだった。

 悔しかった。悲しかった。辛かった。
 私の方が絶対に優れたものが書けると自負しているのに、それなのに、埋まっている。
 誰にも見つけてもらえない。誰にも見てもらえない。

 答えは簡単だ。
 私は媚を売っていないから。
 この本を買う層のための媚びを売っていないから。売りたくないから。
 分かる人にだけ分かってほしいという気持ちだけで書いているから。
 そりゃ、見つかりもしない。

 そりゃ本を出す側は利益を出さなくちゃいけない。昨今のセオリーに沿っていた方が作品が売れることを知っている。
 例えそれが「小学生でも書けてしまうような内容」であっても、とにかく利益を出さなくちゃいけない。
 小学生でも書ける、小学生でも読める、そんな内容じゃないと駄目なんだ。

 難しい言葉は使わずに。遠回しな表現はせず。伏線は早いうちに回収して、個性のないとにかく強いだけでそれ以外の取り柄のない主人公がヒロインからモテればいい。
 そして、題名だけで内容が分かるくらい長いタイトルを。

 


 ──私はきっと、作家にはなれない。


 今まで文字を書くことが好きで、それだけが生きる理由で、頑張る理由だった。
 だけど今日本屋に行って、「私は本屋が嫌いになったんだ」と改めて思って、それから苦しくなって、もうやめようと思った。

 もう、諦めようと思った。

 そんな話。

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