所詮口だけ
どうも!鬱之深夜です!
なーんて明るく挨拶はしてみるけど気持ちはめちゃくちゃマイナス58394682471661度だよん。適当に打ったから何度か知らんけど。ちゃんと数えてくれた人とかいたらごめんナ^^
絶賛学校にいるんだけどまー気持ちがダメだね、落ち着かないしさっきから死にたい人の体験談ばっか読んでる。
あー、わかるなぁって思いながら誰かの死にたい気持ちに共感して、死にたいけど死ねないし、きっと多分死なないんだろうなって気持ちにも分かるなぁ、って頷くわけ。
……………………………
ごめんごめん、ちょっと漢字テストの勉強してた。
そもそもなんで私は死にたいと思うのかってところから。
正直な話、小さい頃は死にたいって感情がこの世で一番遠い存在だった。
毎日が楽しくてキラキラしてて、別に誰かにいじめられたわけでもなければ家族仲が特別悪かったわけでもない。
少し大袈裟にさえ聞こえるかもしれないけど、幸せだった。
成長していくに連れて今まで見えてこなかった家庭の異常性とか、私の人とずれてるところ、友達の汚いところや嫌なところが見えてきた。
「貴方は素敵な子だよ」「貴方は将来すごい人になるの」「私は貴方が大好きよ」「今度一緒にお出掛けに行こう」「運動会、見に行かなくてごめんね」
毎日毎日寝る前にそう言ってくれる祖母も6年も前に死んでしまった。
自分が死にたいと思い始めたのは、丁度6年前だった。
タイミングが悪かったんだよ。色々と。
本当は大好きなおばあちゃんが入院してしまったことを思い切り悲しみたかったし、それを私のおばあちゃんを知ってる人に聞いて欲しかった。
辛かったね、大好きだったもんね、きっと良くなるよって言ってほしかった。
相談しよう、辛いから、悲しいから。きっとあの子なら聞いてくれる。いつも私のことを大好きだと言ってくれるあの子なら。
そう思った矢先の縁切りだった。
結局、大好きなおばあちゃんが入院してる不安は話せなかった。誰にも。
自分が倒れたおばあちゃんを見つけたことも、何もできなくて兄貴を叩き起こして全部やってもらって、その日一日何もできなくて怖くて不安で泣いてたことも。
「大丈夫だよ」って血を吐きながら言ったおばあちゃんと、「ありがとう」って言ったパパと叔母さん。
何もできなかった。なにもできなかった。
泣いてることしかできなかった。分からなくて怖かった。もっと早く気付いてあげられたら、助けてあげられたら、きっともっと長生きしてたのかな。
違う、違う、もっと前、もっと前から不調は訴えてた。
それに気付けなかった。悔しい。悔しい。
そんな話を、したかった。
相談したかった。
怖かった。不安だった。悔しかった。悲しかった。無力だった。頑張ったつもりだった。
それを、それをただ、ただ、話したかった。
話せなかった。結局今も、誰にも話せずにいる。
笑い話として、何もできなかったと言うことはできたけど、本当はそれが悔しくて悲しくて辛くて、無力だと思ったことは言えなかった。
友達とも仲が悪くなって、一人になってすぐ、おばあちゃんは死んでしまった。
一人だった。
その時にはもう手遅れだった。友達もいない。家族仲もその時にはもう悪い。頼れる人も信じられる人も相談できる人もいない。
死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、おばあちゃんが死んだのは私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。
死にたいと、初めて強く思った。
あの頃と今を比べたら格段に今の方が良いはずなのに、皮肉なことに一度芽生えた希死念慮は中々消えない。
早く消えてくれればいいのに、早くそう思ったところで、そう思うことによって「どうせ無駄だ」と思うから、意味がない。
何もかもが無意味で、無駄で、無気力。
これから先も私は人に相談することができても本心を話すことは一生できないんだろうな。
本当は、本当はそれが辛かった。苦しかった。悔しかった。悲しかった。妬ましかった。許せなかった。
心の中はいつもおしゃべりだ。
心の中はいつも感情で溢れてる。
心の中はいつも誰かに聞いて欲しがっている。
所詮無駄。結局無駄。何もかもが無駄。
期待はしない。信頼もしない。好きにもならない。
結局、期待はするし信頼はする。簡単に好きになるし簡単に騙される。
期待したいし信頼したい。それに好きになりたい。
私の心はお喋りだ。
人に言えないことが多すぎる。
隠してきたものが重すぎる。
そろそろ授業の時間だ。
教室に行こう。
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